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栗山英樹君の中学生時代

野球のルールすらよくわからない私は野球について書けることがないため、満を持してnoteの新機能、AIアシスタント(β)にある「導入の文章をつくる」機能を初めて使わせて頂きました。

・・・・・・野球に興味がない私でもWBCが「野球ワールドカップ」の略ではないことは何となく知っています。AIにWBCは時期尚早だったのかもしれません。ということで、今回はインターリンク社長と栗山監督の意外な接点と、社長が信じている栗山監督成功の秘訣について、社長ブログからご紹介いたします。

栗山英樹君の中学生時代

WBC日本代表監督として、世界一に導いた栗山監督、以前、こちらのブログでも触れましたが、中学生時代の同級生です。

『祝!栗山英樹君、日ハム監督就任』(2011/10/31)

そのときは、小学生時代に野球少年として有名だった話に触れたので、今回は、私と同級生だった中学生時代の話です。

時は、1973年ですから、ツッパリ全盛時代で、母校の小平二中もツッパリ少年がクラスに何人かいる時代でした。賀来 賢人さん主演で実写化された「今日から俺は」の世界です(笑)。当時のツッパリ少年は、ツッパリ同士で喧嘩はあっても、弱いものいじめはありませんでした。

さて、野球少年として有名だった栗山君ですが、小平二中には軟式野球部があったのですが、弱小でした。バレーボール部が関東大会に出るなどしていて、私の学年でいえば、運動神経抜群の生徒は、ほとんどバレーボール部に入りました。栗山君もバレーボール部に入部して、3年間を過ごしました。バレーボール部でも活躍していましたが、身長がものを言うスポーツですから(栗山君は174cm)、残念ながら特筆すべき成績はあげられなかったと記憶しています。(ちなみに、私は卓球部でチームは地区優勝はしていましたし、市内でももちろん優勝していました。)

さて、中学二年で同級生となって、栗山君と直接、接するようになりました。どういう中学生だったのか、一言でいえば、

「すごくいいやつ」

でした。誰にでも優しく、リーダーシップもあり、学業優秀、運動神経抜群。さらにたまたまギターがあったときに、井上陽水の「東へ西へ」を弾き語りして、それがまた上手なんです。

高校進学後はまったくつきあいはなくなりましたが、ある時、栗山君がヤクルトに入団した、というニュースを見つけます。一軍でも出場するようになり、期待してたのですがメニエール病で引退。とても残念に思っていましたが、その後の指導者としての活躍はみなさまもご存知の通りです。そして、その成功の秘訣は、「すごくいいやつ」だったからだと私は信じています。

WBCのインタビューで、栗山君の中学生時代を彷彿とさせる、発言がありました。あれを聞いた同級生は、みんな、あ、中学生の時と変わらない喋り方、と思ったはずです。

「野球すげーな」


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